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ヒサール

ドゥシャンベの西30キロメートルほどのところにヒサールの町があります。


[ヒサールの砦の正門]



[ヒサールとは、そもそもアラビア語で城塞の意]

ヒサールは、かつて現在のタジキスタンがブハラ・アミール国(1920年崩壊)の領土であった頃、東ブハラ地方の中心地として繁栄していました。


ヒサール州の州都として砦が築かれ、砦にはベクと呼ばれる州知事が住居を構えて統治を行っていました。


[砦内には草地が広がり、馬が放牧されてました]



[砦の向かいに2つのマドラサが見えます]

ドゥシャンベは、当時、ヒサール近郊の小さな寒村にすぎず、本格的にドゥシャンベの町の建設が始まったのは、1924年のタジキスタン成立以降のことです。


1920年9月のブハラ革命により権力の座から追われた最後のアミール、アーリム・ハン(在位1911-20)が、ブハラからアフガニスタンへの逃亡の途中、このヒサールの砦にしばらく身を寄せたことが知られています。




[ヒサールの農村風景]

その後、ヒサールの砦は赤軍との戦闘により激しい砲撃を受け、砦内の建物はすべて破壊されてしまいました。


砦の上から眺めてみても、ヒサール盆地が豊かな実りをもたらす肥沃な土地であることがよくわかり、ここに古くから町が繁栄した理由も納得できます。







砦の向い側には2つのマドラサ(イスラームの高等学院)の建物が残っており、往時の繁栄が偲ばれます。現在、マドラサの建物は博物館として使用されています。




砦の正門脇には小さな泉と聖者廟があり、現在でも参詣者を集めています。



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