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タジク語

  タジク語は、言語学的には中央アジアにおけるペルシア語の一変種と見なされています。基本的にイランのペルシア語やアフガニスタンのダリー語と同一の言語で、インド・ヨーロッパ諸語イラン語派西イラン語グループに属しています。タジキスタン共和国の国家語であり、他の中央アジア諸国の公用語(ウズベク語、カザフ語、キルギス語、トルクメン語)がテュルク系言語であるのに対し、タジク語のみがイラン系言語です。タジキスタン及びブハラ、サマルカンド、フェルガナ地方などウズベキスタンの一部で使用されており、中央アジア全体における話者人口は推定で700万人ほどであると考えられています。「タジク語」という言語名称は、1924年にタジキスタンが成立して以降、一般的に使用されるようになったものであり、それ以前は単に「ペルシア語」(fārsī)と呼ばれていました。
 タジク語は、音韻の面では現在のイランのペルシア語では失われてしまった、より古いペルシア語の母音体系を保持しており、語彙の面でも初期近世ペルシア語にまで遡る古い語彙が多く保持されているといわれています。文法的には、ウズベク語など周辺のテュルク語から影響を受けたと思われる補助動詞の多用などが特徴的となっています。このように、タジク語は現在のイランのペルシア語とは音韻、語彙、文法の面で異なる点を持つものの、両者の間の差は、タジク人とイラン人が互いの言語で話をすれば十分に意思の疎通を図ることができる程度のものでしかありません。
 文章語においては、20世紀初頭に至るまでイランのペルシア語と中央アジアのペルシア語の間の差異はそれほどありませんでした。しかし、タジキスタン成立以降、新たな国民統合の象徴として民族独自の「国語」の整備の必要性が生じ、文章語に口語の要素を多く取り入れることによって新しいタジク語の文章語が成立しました。これにより、イランのペルシア語やアフガニスタンのダリー語とは違ったタジク人独自の言語の存在が強調されるようになりました。サドリッディーン・アイニー(1878-1954)などの作家や知識人たちも、著作に自ら新しい言語を使うなど執筆活動を通してタジク語の成立に貢献しました。旧ソ連における諸民族の言語のラテン文字化の流れの中で、1929年にタジク語もそれまでのアラビア文字表記に代わってラテン文字表記を採用し、さらに40年にキリル文字表記を採用して現在に至っています。


【参考文献】
『中央ユーラシアを知る事典』平凡社 2005年




 大まかにいってイランのペルシア語と中央アジアのタジク語は同一言語なのですが、やはり違う面もあります。とくにタジク語の発音やイントネーションはペルシア語とはかなり違うので、慣れないうちはタジク語をうまく聞き取ることができません。
 また、基礎的な語彙の面でも違いがあります。たとえば、「値段」という語は、ペルシア語では qeymat を使いますが、タジク語では普通 narkh を使います。「値段が高い」という場合は、ペルシア語では gerān ですが、タジク語では qimat(ペルシア語の qeymat と同じ語)といいます。
 さらに、同じ語がペルシア語とタジク語ではまったく違う意味で使われる場合があります。たとえば、ペルシア語で kharāb shodan は「壊れる」の意味ですが、タジク語で kharob shudan は普通「痩せる」の意味で使われます。Shumo kharob shuded? は、「あなた、壊れちゃったの?」という意味ではなく、「あなた、痩せた?」という意味です。また、タクシーの運転手に Rost raved. と言った場合は、「右に行ってください」ではなく「まっすぐ行ってください」の意味です(右に行ってほしいときは、Dasti rost raved. と言う必要があります)。
 以上のように、イランのペルシア語を知っている人にとっては、似ているが故に微妙な違いをきちんと認識しないと混乱をきたすことにもなりますので注意が必要です。




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